越谷市は、その位置、地形、地質、気象などの自然的条件から、昔から数多くの自然災害に見舞われてきました。そして被害を受けると、先人はそのときの様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれました。
越谷市西方二丁目にも洪水被害に関する石碑が残されています。碑には次のような内容が刻まれています。題字は「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島密によるものです。
明治23年(1890)8月上旬から雨多く、22日に大風雨となり、23日に行田市下中条で利根川の堤防が決壊した。越谷市域は元荒川や葛西用水から大洪水に見舞われ、瓦曽根溜井では水位が上昇し、溜井の堤防が決壊すると下流域の東京が水没してしまうことから、東京からも応援の人々が駆け付け、警鐘を鳴らし火を焚き昼夜土俵積みを行い、難を免れた。
碑の全文は越谷市金石資料集に掲載されています。
また、この情報は国土地理院の自然災害伝承碑情報でも公開されています。
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