時代劇ドラマや映画を見ていると「自身番」という施設が出てくることがあります。現代の交番のような役割もありましたが、少し異なります。
越谷市指定文化財の「西方村旧記 触書 中」に、享保8年(1723年)の触書が記録されています。
一 道中筋では火の元に十分念を入れ、例年の通りに宿場に自身番を一町(約100m)ごとに一か所設置して、怠りなく勤め、昼も夜も番人を巡回させるべし。火消道具を用意しておき、もし出火したなら直ぐに集まって消すべし。
一 道中筋で宿無しの者が徘徊していると聞いたら、少し胡乱うろん(うさん臭い、怪しげ)な者であれば拘束して直ぐに報告すべし。見逃しや聞き逃しをしてはならない。もしも隠していて後で判明したら違法である。
このように自身番は町で自ら警戒するための番小屋であることが分かります。
なお大沢町には上組に「かとり組」、中組に「いろは組」、下組に「みなと組」があったと記録されています。(江沢昭融「大沢町古馬筥」天保期:『越谷市史四史料二』ビューアーの151番目)
デジタルアーカイブではこの史料画像と翻刻データを重ね並べして表示していますので、古文書が読めない方でも書かれている文字を見ることができます。
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