江戸時代、越谷市域は越ヶ谷宿(「越ヶ谷町」と「大沢町」)と48の村でした。
明治22年(1889年)、町村制発布により市域の村が合併し、越谷市域は2つの町(「越ヶ谷町」と「大沢町」)と8つの村になりました。
昭和29年(1954年)にはこれらの町村が合併して「越谷町」となり、さらに昭和30年(1955年)には草加町の伊原、上谷、麦塚を編入しました。
そうして昭和33年(1958年)に「越谷市」となりました。
越ヶ谷町役場は、明治32年(1899)までは越ヶ谷3丁目あたりに役場がありました。
明治32年(1899)2月に越ヶ谷町で大火事があり、112戸の家と町役場が焼けてしまったため、越ヶ谷5丁目の観音堂に移りました。
越ヶ谷町役場は、明治39年(1906)に越ヶ谷尋常小学校の隣に移りました。
写真中央の建物が越ヶ谷尋常小学校、写真右の建物が越ヶ谷町役場です。
昭和27年(1952)、越ヶ谷町議会で、役場を旧4号国道(現県道足立越谷線)に面した所にすることが議決されました。
昭和29年(1954)に2町8村が合併して新しい越谷町になってからも、引き続きこの場所に町役場が置かれました。
昭和30年(1955)9月、越ヶ谷1丁目に越谷町役場庁舎が完成しました。
市制が施行された昭和33年(1958)には、そのまま越谷市役所庁舎となり、合わせて14年間越谷の地方行政の中心となりました。
昭和44年(1969)に現在の場所に市役所が移りました。
平成31年4月から本庁舎の建て替え工事を行い、令和3年3月に完成しました。
位置図(役所の場所の移り変わり)
越ヶ谷町役場、越谷町役場、越谷市役所の場所の移り変わりを示した位置図です。