大戦の傷跡がまだ癒えない昭和22年(1947年)のことでした。
9月16日午前0時20分頃、利根川に架かる栗橋鉄橋付近で決壊した濁流は県東部から東京・葛飾区や江戸川区一帯まで浸水させました。
当時はGHQ(連合国軍総司令部)占領時で、米国の慣習によって台風には女性名がつけられました。
昭和46年(1971年)6月、梅雨の最中に排水量を上回る豪雨により、市域の中には道路が川のようになってしまう所もありました。
古来“水郷”と言われた越谷地域は、川の恩恵にあずかることも多くありましたが水害に見舞われることも多々あり、現在でも治水は大きな課題です。
このような状況を改善するために、元荒川と葛西用水(逆川)の分離工事や大吉調節池及び大相模調節池が建設されました。